最高に幸せだった日



最高に幸福な日、それはたまたまだけどインディアン・サマーのような日だった。


インディアン・サマーとは、枯れ葉が落ちはじめる晩秋。寒さを感じながら暮らしていると、ある日突然よく晴れた暖かさを感じる日が訪れる。ポカポカとした空気が幸福な気分に誘う。
今日は死ぬまで続く、死ぬのにもってこいの日 だ。
晩秋ではなく、しっかりとホワイト・クリスマスが聴こえる冬だ。
僕は自転車を走らせながら今日は、死ぬのにもってこいの日 だと口走っていた。



いつかの夏、アメリカはコロラド州に行ったとき、現地のともだちとネイティブ・アメリカンの里に行ったことがある。すっかり観光地しているものの、それでも遠い昔の幸福と死の切実な日々をイメージさせる力がある。



死ぬのにもってこいの日の今日も、時間と共に自分の記憶は薄れていくのだろう。それでも忘れないように頑張ればできる。
頑張るようなことではない。頑張るなんておかしい。でも人間は忘れることができるからつらいこと、悲しいことがあっても生きて行ける。
だから、僕はそこまでして生きたいとは思わない。
世界で一番大切な君を忘れるくらいなら生きていたいとは思わない。

死ぬにはもってこいの、最高に幸福だった一日を忘れないようにしたいから、生きていなければならない。
だから、頑張って死ぬのにもってこいの日の今日を忘れずにいる。

だって、僕は世界で一番大切な君に、君が世界で一番大切な人だということ以外、まだ何も話していないのだから。



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