光と陰。人間ならば不完全であれ、間違いをするがいい。


光が光であることがっできるのは、陰があるからだ。


自分を自分の人生に埋め尽くすことができれば、その人生は暗闇に光を放つだろう。
しかもその人生を愛する人の人生に埋めつくすことができれば、幸せだろう。


その人生は間違いや失敗に満ち、不完全であれば、より美しい。
もし間違いのない人生をヨシとするなら、その人はその人生も、その人生を歩んでいるひとの在りようも、見ていないのだ。

人間はどうしょうもなく、不完全で、間違いや失敗をするものだ。だからこそ、その責任を引き受けることもできる。


それは、「人間の証しであり、人間である権利」。
人間は神様ではない、完壁でない人間なのだ。



失敗の責任を自分が引き受けられる。だが可能な範囲と可能でない範囲がある。義務として取る必要はないけれど、自律的、自主的に自分が可能な範囲で責任を引き受けることができる。


もし責任を義務として引き受けなければならないとしたら、自分が返すことができない失敗をする勇気は持てなくなるだろう。失敗の責任は、成功にしかないとは、およそ人間らしくないではないか。


もし、失敗はできないとするなら、失敗する人間はダメ人間という評価でしかない。余程の変わり者でない限り、自分をダメ人間とは思いたくないものだ。失敗を認めたくないと、人間はよくないことを考えるものだ。
合理的でない言い訳したり、失敗したことを隠すだろう。ごまかす、隠す、避ける・・・卑屈になって、自ら輝きを失うことをする。
こんな悲しい無様をしなくていいように、不完全であれ、間違いを起こしていい、それを恥じることなく、堂々と転んでいい。転ぶときは大いに転んでいい。そして自信を持って、立ち上がっていい。


完璧主義の罠から、自分を守れ、どんなときも、どんな自分も愛して、笑ってやろうじゃないか、


アサーション権 にある間違いをしてもいい、不完全であっていいルールは誰にも許されたものだ。
輝く君を守るためのルールを忘れることなく使うのだ。


幸せすぎた2008年がいま終わる。2009年はさらに幸福な年になるだろう。人間の判断、選択、行動は、自分に任されたものだ、だから2009年は幸せすぎた2008年より幸福にすることができる。


君よ、輝け。陰を恐れずに輝くがいい。



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