祝福 自分の人生に自分を捧げる


祝福 自分の人生に自分を捧げる


人生には苦しみがつきものだ。いろんな苦しみがあるけれど、人が避けることができる苦しみはひとつしかない。苦しみを避けようとして生じる苦しみだけだ。唯一できるのは、それくらいしかないのだから、じたばたせずに苦しみをひたすら受け入れるのが一番いい。

厄介なことに人間は不安に弱い。まだ生じていない苦しみを先取りして苦しむことさえ厭わない。そのように困ったことに、人間は知らないことが多すぎる。いまこの瞬間の少し先さえ知らないのだから、未知と向き合って我慢比べしているようなものだ、なにより自分が知らないのは自分のことだ。自分のことを知らない自分が不安を抱えて、同じく不安を抱えている自分を知らない他人と暮らすのは、互いのそれと向き合うことを余儀なくされる。言ってみれば結婚式とはそれを受け入れる儀式だ。

もっとも逃げる対象になる筆頭が自分自身だ。ところが、当の本人はそうは思わない。自分の身代わりに、パートナー、こども、友人、同僚など心理的距離の近い誰かを選ぶ。こうして自分以外の者の責任で自分は満たされないと思い込む原因を作り、選んだ相手を変えようと躍起になる。おかげで自分のことはそのままにするので自分を高める機会はなくなる。選んだ相手を変える努力が失敗すると、相手に怒りをぶつける。ぶつけるのをはばかる場合はさらに他の人や物事に向かう。
思い込みと決めつけで、自分の人生も他者の人生もごった煮にして、誰の人生か分からないような暮らし方をしていると、毎日の時間が硬直してくるので、心だけでなく身体まで硬くなる。

これは自分の人生を相手の人生に埋めたことにはならない。ゴミのように捨てただけのことだ。埋め尽くすとはそうではない。無償の愛であることさえ忘れた無償の愛である場合のみ、自分の人生を相手の人生に埋めることができる。相手の負担にもならない。もちろんそういう人間は相手の人生を借りなくても自分の人生に自分を捧げることができる。


それには、自分の身代わりなんか立てずに、アサーション権でいう自分の行動を自分で選択して実行する権利 が自分にあることを知り抜いて実行することだ。
人は誰でも、自分が思う以上に、自分の幸福な暮らしを過ごすスキルを身につけているものだ。だから何もわざわさ周囲のひとにイライラしたり失望したりせずに、自分を好きなように変えるようにして暮らすのが愉快で罪がない。


<祝福>愛とは奪うものでなく、奪われるものでもない・・・。愛も人生も、境界線に捧げる両手があってこそ眩しい。まずは、生を瑞々しいものにするために、新しい年を祝おう。


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