読書などで得る知識を実際の行動で、体験に変換して確認する
読書などで得る知識を実際の行動で、体験に変換して確認する
流行を追うということは、
見ず知らずの他人の価値観を追うことと変わらない。
それは、ばからしい。
売れているものが好きな人は経済的価値をモノサシにしているのと変わらない。
そういうの、アサーティブじゃない。アサーションな暮らし方ではない。
人や本や映画などに触れて心が動いたら、自分もそこに向かわせて体験するようにする。
水平に広がった自分のキャパシティを今度は垂直に拡大する。
3Dの世界は奥行きのある現実主義。
人生の主人公は自分。
三時間かけて映画を観て、一日かけて本読んで、
「ああ面白かった」「勉強になった」で終わったら、
もったいない。
自分の人生と関係ない時間を使うなんて驚くほど現実的ではない。
現実とリンクしない時間は現実逃避でしかない。
自分に入って来たことをしっかり自分のものに変換して現実だ。
何でも同じように体験することはできないけれど、
アレンジしてでも可能な限りやってみる。
精神は自分に取り込める。
取り込んだ位置から自分の考えや意見が出てくる。
スポーツジムでレンタルウェアでトレーニングするひとは
効果が出にくいとあるパーソナルトレーナーの方が話していた。
借り物だと本気になれないというわけだ。
借り物の脳では自分の身につかない。
今日はバレンタインデーだから、君のふるさとに行ってみた。
スーパーやデパートで、ノートや目薬を買い物してみる。
歩いたり、電車に乗って市街地の風景を見る。
地元の食堂で地元では当たり前の食べ物を食べてみる。
そうして小さい頃の君の駆け足の音を聴く。
学生服の君の体温を感じる、
君の夢を考え、
哀しみを考え、
よろこびを考える。
それにどんな意味があるのか。
自分でも少し胸騒ぎ。
でも、きっと大丈夫。
単なる空想。そうかも知れない。
でもボクは4Dの世界を楽しむ。
黙っていても通じる空間がある。
4Dの世界は共有した空間。
共有できる力があれば離れていても通じる。
自分のセンスは自分の意識と行動でしか磨かれない。
寒さをまとえと冬の街が言う。
何もない。
それがどうしたと雨の海が吠える。
流行を追う時間に自分を費やすより、
体験で自分を磨きたいものだ。
アサーティブな自分を大切にしたい。