ライフスキル 自分を知るスキル

世界で一番大切な君に話すこと
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福井県福井市福井中学


ライフスキル 自分を知るスキル

幸福で心理的に豊かな人生を過ごす上で欠かせないライフスキルには、全部で10のスキルがある。

・自己認識 ・共感性  ・効果的コミュニケーションスキル ・対人関係スキル ・意志決定スキル ・問題解決スキル ・創造的思考 ・批判的思考 ・感情対処スキル ・ストレス対処スキル

以上10のライフスキルは、補完関係にあるけれど、数が多いと理解が複雑になるので、分かりやすくまとめると次の5つのライフスキルに集約される。

1.自己認識スキル(自己認識・共感性)
2.目標設定スキル(創造的思考・批判的思考)
3.意志決定スキル(意志決定・問題解決)
4.コミュニケーションスキル (効果的コミュニケーション ・対人関係)
5.ストレスマネジメントスキル (感情対処・ストレス対処)

この5つのライフスキルも、補完関係にあるので、個別に見ると強いライフスキルがあっても、ライフスキル全体の力は、もっとも弱いライフスキルに引き下げられてしまう結果になる。

短所を伸ばすより長所を伸ばすことは間違いではないけれど、ライフスキルでは、弱点を克服することも大切なのだ。

5つのライフスキルの内、なかでも自己認識スキルは、自分と他者を知る上で欠かせないライフスキルで、すべてのライフスキルに強く影響する。
その分、しっかり身につけたいね。

振り返れば、友人から投げかけられた一番多い相談は、他者とのコミュニケーションで生じる不安だ。「自分はどうなるのだろう」・・・・コミュニケーションの不安は共同体に暮らす人間にとって、もっとも大事なものだろう。人間はひとりでは生きて行けないからね。「あなたは大事な存在だ」「価値ある存在だ」と、誰かに承認されたいからね。

自分が社会に受け入れてもらうためにやらかす失敗が、自分を抑圧するか、逆に支配に走りすぎるか、極端に相反する態度によるトラブルだ。
現象は正反対だが、どちらも自己認識スキルが不足しているので、自分と他者とは違うという現実をアサーティブ、つまり率直、誠実に、対等の立場で、自己責任で受け入れることができない。

この問題は「境界」の問題と絡んでいる。「境界」というのは、人と人の間には、国境のように境界があり、その先には無断で侵入してはいけない「領域」がある。つまり「人権」(アサーション権)のことだ。

気持ちのいいコミュニケーションをするには、お互いの境界を超えて無断侵犯しないことだ。それにしても境界は壁のように固定したものではなく、人や状態で境界を自在に調整することができる。
ところが、「一心同体」という言葉や、垣根のないことが親しさの証しのように考える方が少なくない。これらを最強、最上の関係と勘違いすることで、人間関係の苦しさの発端になっている場合が多いのだ。
一方では「親しき仲にも礼儀あり」「和して同ぜず」という言葉もあるように距離の大切さを伝える言葉もある。

「境界」「人権」の距離感の間違った持ち方は、自己否定感の裏返しである「万能感」と密接に絡んでいて、「依存」の問題に発展する。
依存が強すぎると「自立」の妨げになる。思うように自立ができなくなると、自分への信頼感か弱まり、健全なコミュニケーションが難しくなり人生は混沌としてくる。
自分は誰?自分はどこに向かうのか?自分は愛されるにふさわしい存在か?考えても仕方のないことに時間を使い、必要なことに時間を使う元気を失うようになると、人生は輝きを失う。

一方、自分への信頼感のあり方はコミュニケーションに影響を与える。
自己信頼感を基礎にして信頼関係が数多く作れると、サポートも得やすくなり、主体的な活動が増えるようになる。体験を通して目標設定スキル、意志決定スキルもしっかりと強くなる。
ライフスキルだけでなく専門スキルも育み、自分の力が内側からと外側から強化され、より挑戦的な人生が過ごせるようになる。


■ 自分を知り、違いを発見するスキル

よく僕たちが「自分のことが分からない」と言うように、知っているようでも分からないのが自分の考え、意識、感情だ。
「自分のことは分からないが他人のことはよくわかる」と言うよね。自分が絡んでいない場合は客観視できるからだ。

自己認識スキルは、自分を他者のように客観視できるスキルのことだ。自分を育むうえで、とても大切なスキルだ。
自分の考え、意識、感情を、第三者のように認識できることは、裏返せば他者のこともよく分かるようになることだ。
自分と他者が判るほど、なにかにつけて、自分と他者は違うことに気づくことができる。
さらに、互いの違いを否定せず、ユニークな存在として受容できると共感する力も強くなる。共感力はコミュニケーションを円滑にし、自己信頼感につながる。



■両極端な態度でも、原因は同じ

ある人は他者に対して、自分の考え、意見、感情を抑圧して遠慮がちになる。
ある人は他者に対して、自分の考え、意見、感情を押し付けて支配的になる。
態度は真逆だ。
こういう場合、気が弱い、気が強いと性格の問題にしがちだが、実はそれ以上に決定づけているのは、自己認識スキルの不足なのだ。
つまり自分のことを認識する力不足が原因で、他者を理解する力が不足しているのだ。


■自分と他者は違うことを知る

人は育ってきた環境が違うので、体験も違います。体験が違えばこの世界への認識が違うのは当然のことだ。教育はそれを正し育むものですが、教育も親や教師のパーソナリティの影響を受けるので公平公正とはいえない。
そこで、どうしても自分への認識、他者への認識が変わってしまうのは防ぎようがない。それにしても、その混沌のなかに自分の個性、自分と違う「個性」を発見して尊ぶことはできるのだ。

自分を知り、他者を知る力は、個性を尊ぶスキルになってこそじぶん力になる。それには互いの人権を尊重する態度が欠かせない。但しこれにはいささか注意が必要だ。ただ違いを受け入れるだけでは、ノン・アサーティブ、アグレッシブになる可能性があるからだ。
お互いの違いに遭遇したとき、違いを否定せずに、ただ受容するのではなく、どう違うのか、どうすればWIN-WINな関係が作れるかを意識することが欠かない。
自分を大事にするように、同じように相手も大事にする。共感力があってこその自己認識スキルなのだ。


■アサーティブ

お互いの妥協点を探るというと「我慢」のイメージがちらつき消極的な印象を受ける。
お互いの違いを否定せずに、ただ受容するだけでは、ノン・アサーティブ(非自己主張的)
あるいはアグレッシブ(攻撃的)になる可能性があるからだ。自分を大事にするように、同じように相手も大事にする。共感力があってこそ接点をアサーティブに見出すことができる。
アサーティブとは、積極的に自己主張することだ。「積極的に自己主張」というと誤解される方もいるが、攻撃的に自己主張することではない。

先に例にあげたように、
他者に対して、自分の考え、意見、感情を抑圧して遠慮がちになるのがノン・アサーティブ(非自己主張的)
他者に対して、自分の考え、意見、感情を押し付けて支配的になるのがアグレッシブ(攻撃的)だ。
つまりアサーティブとは、自分の考え、意見、感情を「率直、誠実、対等、自己責任」で表現することだ。

ノン・アサーティブ、アグレッシブには、アサーティブの柱である「率直、誠実、対等、自己責任」が不足している。不足する理由は、人によって違うけれど、不足をなくすことはできる。


■価値観の調整

不足をなくす方法を説明しょう。

人はそれぞれ体験が違うので、物事を見る目も違う。立つ位置も違えば、持っている言葉も言語も違う。だからお互いに率直に言うだけではコミュニケーションは成立しない。

ノン・アサーティブもアグレッシブも自分中心という点では同じだ。
特にノン・アサーティブの場合は、自分を抑圧しているので相手を優先しているつもりになるけれど、相手を等身大で見ているわけでなく、自分の想像した相手でしかない。つまり「あなたはこういう人だ」と決め付けがあり、その意味で人権を無視しているのだが、自分に注目しているため、それに気がつかないのだ。

アサーティブな人は、自分への関心より、相手への関心が強いので、相手の言葉を傾聴し、態度を注視する。ノン・アサーティブ、アグレッシブな人は相手より、自分の感情を注視するので、相手を等身大で受容できなくなる。

だから、ノン・アサーティブもアグレッシブな人も、まず客観的になる努力をする。
客観的になる努力は、WIN-WINを目標にすることだが、言うのは簡単だが実際には難しいだろう。
そこで誰もが求めていることを意識するようにする。
誰だって自分は価値あるものと思われたい。大事にされたい。安全に暮らしたいものだ。
相手のそれを目標にしてコミュニケーションするのだ。

言うのは簡単だが、ノン・アサーティブ、アグレッシブな人は、相手のそれより自分のそれを優先してしまうために、ノン・アサーティブ、アグレッシブな態度をとってしまう。不安が先に来るのだ。

しかし、その結果、現実はどうだろう?
ノン・アサーティブ、アグレッシブな態度をとることで、逆に不安を生み、悩みの種になっていないだろうか。自分を優先することがプラスになっていないのだ。
この背景には、対人関係に無用な「対立」がある。相手は敵ではないのだから、対立する理由はないはずだ。
たとえば上司と部下は仲間であり、同志だ。ノン・アサーティブ、アグレッシブな態度をとることは、仲間、同志でなく上下関係にこだわりすぎているからだ。
その背景には、責任感と、責任を果たす上での自分への信頼感の不足がある。

責任を果たすためにコントロールしてしまうが、意見、考え、感情のコントロールをする前に人間をコントロールしょうとするために、アサーティブになれないのだ。動機がなんであれ、人間をコントロールしょうとすると知らず知らず、対立してしまう。

人間をコントロールすることは、「境界」の侵犯だ。
しかし、意見、考え、感情を言葉で理解しあうのは、「境界」を尊重した上で、互いの領域から、コミュニケーションすることだ。
だから、意見の食い違いはあるだろうが、目的が同じなら、意見の違いでしかない。
目的を最優先するのだ。


■ 「率直、誠実、対等、自己責任」の不足をなくす

「率直、誠実、対等、自己責任」の不足をなくす方法は、自分や相手を優先するのではなく、なにより「目的」を最優先するのだ。その場合、目的が健全であることが欠かせない。みんなが求めている価値を目的にする。(目的と目標は違う)
自分は価値あるものと思われたい。大事にされたい。安全に暮らしたいものだ。
その方法論の違いが意見の違いになることはある。
だから方法論も個人の思い付きを優先するのではなく、原理原則、つまり数多くの成功事例、失敗事例に共通している要因から決して逸脱しない考え方、方法を遵守するが条件なのです。
そうすると、どんな状態でもぶれることはなくなる。


■中間管理職に学ぶ

中間管理職の立場は、自分と相手の間に、さらに第三者が入った状態だ。
違う価値観が増えるほどコミュニケーションは複雑になる。
しかし、どれほど人が介入しても、むしろ介入するほど、普遍的な価値観を大事にすることが大切だ。
中間管理職の立場に苦しむ人は、普遍的な価値観を中心に置かず、それぞれの言い分を尊重してしまう。尊重は大切だけれど、大局から見ると、矛盾があるものだ。矛盾はコミュニケーションの火種になるが、この矛盾を整理し矛盾を除去するのが大局的な見解、原理原則だ。
私もあなたも大事にされたい。そのために生きているという立場で、互いの個性を認めながら、方法論を言葉で伝え合うことをすれば、違いを認めながら、接点を見出すことができる。言葉より感情を優先すると、コミュニケーションは必ず破綻してしまう。

■因果関係を念頭に置く

僕たちが暮らす社会は、たくさんの人が暮らしている。たとえば10人の人がいたら、そこには100のコミュニケーションがある。つまり100の因果関係がある。

「あの人、今日は機嫌が悪いね」というとき、ひとりの人を指しているが、ぞの人の機嫌が悪い背景には100の因果関係があるのだ。

僕たちが仕事やプライベートで計画するとき、計画とは、因果関係を「計算して予測を立て事前に手を打つことで、計画が策定できる。どれだけ因果関係を発見して計算できるか、計算したことを事前に手を打てるかで、マネジメント力は変わる。

自分を認識するには、自分の考え、意見、感情が、どのような因果関係で、現状があるのか計画するときと同じように分析することができる。それによって、自分が分かる。

ここから自分が考えている自分と、違う自分がなぜできあがっているのか、そのズレを発見することで、本当の自分デビューさせるためにどうしたらいいのか、5つのライフスキルを使って、それを実現する時と場所、それがコミュニケーション
だ。


■「なぜ」を3回繰り返す。

自分の考え、意識、感情を知る方法は、自分を第三者の「ように眺めてみることだ。なぜ、自分はそう考えるのか、なぜ自分はそう感じるのか、なぜを3回繰り返す。
同じように、彼の考え、意識、感情を知るようにする。なぜ、彼はそう考えるのか、なぜ彼はそう感じるのか、なぜを3回繰り返す。
「なぜ」を3回繰り返すには、自分の中でする場合はいいが、相手に向かって「なぜ」を3回繰り返すと、刑事の尋問のようで、追求しているように感じるのでやめたほうがいい。
相手に聞く場合には「どうしたら(できる?)」というように、「どうしたら」の方が負担がない。



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