「努力」とは、できることをすること
福井駅前
■「努力」とは、できることをすること
努力とは、できないことをすることだろうか。
あるいは、できることをすることだろうか。
主体性のある人と、ない人では、この判断が違う。
主体的に生きている人は、自分にできることをするのが努力だと考えている。そうでない人は、できないことをできるようにするのが努力だと考えている。自分の不足に注目していたら気が重くなっても当然だ。不足に注目していたら、いまできることが疎かになる。だからかたづかない。
できるのにしていないことは、“やらなければいけないこと”に変化する。できないことは、“やれるようにしないといけないこと”に変化する。
自分がしたいことが消え、自分の選択がなくなり、負担を押しつけられたように感じる。やる気が失われ、ひとつひとつの行動が鈍くなる。好物の食べ物でも、食べなければならないものになれば、味わう楽しみはなくなる。
一方、主体性のある人の動きはこれとは違う。
できることをしていたら、できないことにも遭遇する。できないことを片づけないと進めない状態を克服しょうとする。できないことができるようになっていく。あるいはできる方法を発見する。いまこの瞬間にやれることをやり続けているだけだ。
自転車に乗りこなせるようになったとき、パソコンが使えるようになったときのことを思い出してほしい。それと同じことだ。
人は誰でも自分の持っている資源を使って不足を埋めることしかできないので、分からなければ調べる、聞く。
主体性があると、自分にできること、できないことが、具体的にはっきりしてくる。どんなに努力してもできないことはできないと分かるので、ためらわずにサポートを求める。
自分の力ですることも、サポートを受けることも、自分ができることだ。ムリがないので継続できて。スキルアップになる。
誰にとっても、あるものはある。ないものはないのだ。
誰にとっても朝が来て夜が来る、その範囲でしていることだ。
主体性のない人が主体性のある人を見ていると、ムリしているように思うのは、見ているだけだからだ。あるいは、完全にやり遂げているように想像するので能力の違いを想像する。他人の心理を想像で判断するから特別違うように思う。主体性のなさが強めた自己否定感が拍車をかける。
実際のところ、想像で判断していることが自分の現実になるとは限らない。没頭していたら不安になる時間もなくなる。能力の違いがあるとするなら、一番大きい違いは、継続とサポートを求める能力だ。努力とは、できないことをすることではなく、できることをすることだ。
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