花は花。自分の意見を主張しない権利

「自分の意見を主張しない権利」というと奇異に感じるかも知れない。
自分の意見を主張する権利があるように、「自分の意見を主張しない権利」が人権として認められるのは不思議ではない。ひとはみんな基本的にはニュートラルな存在。ONになることもあれば、OFF にもなる。その選択をしているのは自分.大事なことは、自分の意見を主張するのも、しないのも、義務であってはいけないこと。自律した状態で選択することがなにより大事。自律は、自分を引き受ける。主張した責任、しなかった責任をも引き受ける。


自律を失うのは難しいことではない。時の過ぎ行くままに自分を流せば.少女の夢も消えて行く。今日の夢に心を投げ込んで、昨日の夢が消えてなくなっても、変わることが悪い訳でもない。
自分が夢の中にこそいることを忘れずにいるなら。自律はその歯止めを果たす。


人生のパートナーは、自律を後押しするのがいい。ひとりでは超えられない荒野を幌馬車で駆け抜けるように守ってくれる存在、それには、どこに行こうとしているのか、どうなりたいのか、自分の切実を語ることが大事だ。しかし「自分の意見を主張しない権利」を貫くなら、それもよしだ。


どちらにしても自律に潔さは欠かせず、潔さに自律は欠かせない。
花が花として咲くことしかできない潔さに命預けて、自分を生きるように。




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