仕事のこと 働く目的

■働く目的

働く最大の目的は、お金だろう。お金は、男女、年齢、既婚を問わず、働くエネルギーになる。お金、自分の欲のために働くことは悪いことではない。

安い給料で働いているフリーターの独身女性は、人の役に立つ仕事がしたいとよくいう。自分のことで精一杯にはずなのに、なぜだろう?つながりが欲しい、あなたが必要だと言われたらうれしいからだ。実際には人の役に立った与える側より与えられたい立場なのだ。

健康のために運動することがいいと知っていても、運動をしていない人にとっては、なかなかできるものではない。
ところが異性にもてたいからとか、人と関わった目的があると一念発起してやる気になれる。

働く目的も、それによく似ている。
最初はお金や欲が満たすことをエネルギーにしたらいい。
しかしそれが満たされると、それだけでは働く意欲が保てなくなる。その先には「誰か自分以外の人」が必要だ。

一番身近な人は家族です。結婚してこどもができると、家族のために頑張りたいと思うだろう。”お金、欲、人の役に立つ”の三点セットのエネルギーになる。それでいいのだ。

より多くの人に接するようになり、社会のいい点、欠陥や矛盾に触れると、自分の世界が広がります。より大きな世界に貢献したいに変わっても不思議ではない。やがてより多くの人、社会に貢献することが働くエネルギーになるだろう。

働く目的の最初はお金や欲でいい。そこからスタートしてより大きな世界にコミットメントしていく。対応する力が必要になり「なれる最高の自分になりたい」欲求が芽生える。成長するとはそういうことだと思う。

自分が成長すれば働く目的が変わる。目的が変わると、自分が成長する。成長と目的は二人三脚で、補完しあう関係にある。しかも自分だけでなく自分の周囲の人にも同じような関係を作ります。自立する子育てや、より成熟した夫婦関係のエネルギーになる。それに「仕事の現場」には、ライフスキルを育むすべての要素が凝縮されている。特に問題を乗り越えることを学ぶ点でうってつけの場所であって、家族の仕組みを学ぶ場所でもある。


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家族から学んで実行する自立の学習

福井市足羽神社

■家族から学んで実行する自立の学習

・ 目的を持つ
・ 自分の「限界」を恐れないで、限界を認識する
・ 限界に対処する方法を工夫する
・ 「助け」が求められる自分になる。
・ いまこの瞬間に「集中」する。
・ 愛とは励ますこと。

私たちの暮らしはコミュニケーションがすべてと言っても過言ではない。
毎日、あらゆるところから不意にメッセージが投げかけられる。楽しいものもあれば、不愉快になるものもあり、それらによって自分の気持ちが動く。しかし気持ちが動く前に、投げ込んだ当事者に返すものが大半だ。

「じぶんぢから」とは「コミュニケーション力」に他ならない。
では、どうして自立したコミュニケーションができると、自分が価値ある存在と思えるようになるのだろうか?

 まず、自分のままでいいと思えるのは自立しているからだ。自分に否定的だと自分の不足を依存で賄おうとする。しかし自立は、足るところも足らないところもあるけれど、自分の責任は自分が引き受ける状態だ。必要があれば助けを求めることもできる。助けを求めた責任を自分が引き受けるから、助けを求めることができるのだ。どのような状態であっても自分を引き受けるとは、次のような態度と結びついている。

●自分と周囲の人を尊重し励ます
● プロセスに注目する
● 決めたことは責任をとる
● できるまでやる
● いまこの瞬間に集中する
● 理想と現実の差をうめる目標を選ぶ
● 感情的な行動をしない

 このような態度を自分に課せられると不安に感じるのは、努力の必要を感じるからだろう。努力の必要が生じるのは、そこに限界があるからで、ネガティブな受け止め方をしてしまう。しかし、限界を認識できることで、なにをどのように努力したら、自分はどう変わるのか判ってくる。同時に努力してもできないことも分かるようになる。そうして自分のアイデンティティが分かってくる。

 自分にはできること、できないことがある。だから助けを求めるが、同じように、相手から助けを求められることもある。やはり自分と同じで相手にもできること、できないことがあるからだ。お互いのできる、できないことを確認して、できることは「イエス」、できないことは「ノー」と返す。それはお互いさまである。

 これは普通の感覚ですが、自分の限界が判らないと、できないことでも「イエス」と言ってしまう。逆にできることでも「ノー」と言う。自分の責任範囲があやふやで混乱してしまう。自分の限界が判らなくなるのは感情が先走ってしまうからだ。相手が不機嫌になるといやだとか、断ると嫌われるとか、自分が不利になるとか心配するからだ。しかし、自分は万能の神ではあることはない。限界のある人間なのだ。自分の仕事とそうでない仕事がある。断ると嫌われるとか、自分が不利になるとか、考える以前の問題だ。

 役割分担もないままに使った食器を使った人が洗わないのは、洗う人の限界を気にとめない、つまり尊重しないからだし、伝えないままに引き受けている人の責任なのだ。このように「イエス」、「ノー」が混乱してくると、自分が尊重されていない気持ちが強くなる。否定的なメッセージを受け取っていると、自分でも自分に否定的になる。しかも「ノー」と言うべきところを「イエス」と言って引き受けていたら責任範囲が拡大する一方だ。押し付けられたメッセージ、相手の問題は相手に返すのが、コミュニケーションをよくするポイントだ。

コミュニケーションのあり方を学ぶ場所が「家族」なのだ。「イエス」、「ノー」は日常的に多く使う言葉だが、使い方で人生は変わる。家族はそのことをよく認識して「家庭」は学習の場だと知っておくことが大切だ。

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機能する家族



自分が何を苦痛としているのか、どう考えているのかを探究することで、子供を励ます能力を磨く。
親はパートナー以上に、こどもを通じて学ぶことができるのだ。子供に注意をするとき、叱るとき、あるいは子供が言うことを聞かないとき、親は気分を害すが、
パートナーに比べると防衛することは少ない。その分、自分が何を恐れ、不安になり、苛立っているのかが、晴れた日の空を見るように見やすい。

もし、こどもを通じて学ぶ意志がなく、苛立って叱責するなら、こどもへの態度は白か黒かのように、甘やかすか、あるいは厳格、感情的になるかに分かれるだろう。
学ぼうとしない親の態度や表情は、親自身にも、こどもたちにも、プラスになるものはなにもないのだ。

このような体験を積んでいくと、子供はコントロールされることに不満を持ち、親から離れようとする。うっとうしいから距離を置きたいという理由からだ。子供は親の仕組みを真似してコントロールしょうするのだ。しかしそれは自立に向かっているものではなく、自分の放棄でしかない。パートナーの場合と同じく、愛されていないと感じている。

思春期のこどもの反抗は、自立したい欲求が背景にある。にも、関わらず親がいつまでもコントロールしようとするから複雑になるのだ。親のコントロールはこどもへの愛情ではなく、親自身の不安から起こっているといえる。こどもがそれに反抗するのは、こどもに生じた不安に対する防衛だ。反抗は双方が自分を失っている証しなのだ。

親子が不安になっていたら、家族に安定はなくなる。「反抗期」は、突然やってくるのではなく、そこに至るまでの結果なのだ。
親が境界を認識して、こどもの自由つまり率直、誠実、対等、自己責任を柱にした良心と、良心で使いこなせる知識、知恵からなる良識を尊重すればこどもの欲求をくじくことはない。
不透明な限界への不安、アイデンティティの混乱、自立へのとまどいと葛藤が生じると価値観の衝突が起こるので対立は避けられないにしても、あっておかしくない問題は乗り越えることができる。対立を通して愛されていると感じて、家族の親密さが深まる。食事の時間も寝る時間も、親密で愛情のあるひとときになる。

家族の基盤は、ひとり、ひとりのありようで作る。
パートナーのそれぞれが自分の恐怖や価値観を認識していないと、防衛的になる。防衛的になると、相手に力を誇示するか、逆に力不足を強調する支配的なコミュニケーションをするようになる。
日常的に主導権争いが家庭は戦場になる。戦火が鎮まるのは無関心、服従になったときですが、仮面をかぶっただけなので、親密で愛情のあるコミュニケーションはなく、本当の平和はない。
率直、誠実、対等、自己責任を柱にしたコミュニケーションができなくなり、愛情を感じることも学ぶこともできなくなる。
他者の庭からは青い芝生に見えてもその実態は枯れているのだ。

家族で大切なことは、境界を守ることだ。
ひとりひとりの「個室」があっても、境界を守らなければ「個室」はないのだ。
物質的な豊かさを実現しても、虚ろなのは、親密な愛情が欠けているからだ。親密な愛情の正体は境界つまり個人の自由を尊重した励ましのある関係だ。

自由とは、良心と良識だ。
良心とは、率直、誠実、対等、自己責任を柱にした心だ。良識とは、知識、知恵を良心で使いこなせるスキルだ。自由は、境界の領域にしかないのだ。
相手が誰であっても、支配的、防衛的、依存的な態度・言動は自由を尊重しないものだ。

自由を尊重するとは、自分を考え、相手を考えることだ。
相手を変えようとするかわりに、「相手のことを知りたい、学びたい」と心から思うとき、喜びが跳ねながらやってくるだろう。
コントロールしたい欲求を捨てることは難しいものだ。学ぶよりも楽だからだ。手抜きだ。つまりそれこそが愛情の不足なのだ。
愛情とは、その難儀を難儀と思わず、心から「相手のことを知りたい、学びたい」と思い実行することなのだ。


ひとりひとりの欲求や権利が尊重されると、ひとりひとりが学び成長しながら、全員で愛する体験をつくっていける。これが機能する家族の仕組みの基盤なのだ。

このやり方が難しいと感じるのは、他のシステムを疑いもしないで受け入れているからだ。

国、地域、学校、家族、あらゆる共同体が、問題意識もないまま当たり前のように恐怖心や罪悪感を利用して、コントロールしている状態になれているからだ。しかしそれらは安心や意欲を引き出す代わりに不安、不信、反感を引き出してしまうのだ。

たとえば人の評価をするときに、その人の内側にある本当の価値に無関心なまま、なにを手に入れたかで判断するように、自分に対しても同じ評価をしている。
なぜ、そういう評価をしているのか、考えてみることが必要なのだ。





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ふるさとの歴史


福井駅西口


福井駅


柴田神社


柴田神社へ


北ノ庄城跡 福井県福井市中央一丁目)


北ノ庄城跡 福井県福井市中央一丁目)


北ノ庄城跡 福井県福井市中央一丁目)


北ノ庄城跡 入口


北ノ庄城跡 福井県福井市中央一丁目)


お市の方の涙が悲しい。世界で一番大切な君の涙は見たくない。




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ふるさとの春よ、来い


足羽神社


お江が過ごした福井


福井の歴史


福井の歴史


福井の歴史


美しい福井 足羽山の春


世界で一番大切だった君に福井の春は似合う。



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家族としての選択

家族としての選択

・仲良くしたくない、家族はどうなってもいい
・仲良くしたいが、家族はどうでもいい
・仲良くしたくないが、家族は大切だ
・仲良くしたいし、家族も大切だ

自分と家族に愛情があるなら、4つの選択肢から選ぶ道は、ひとつしかないはずだ。

「仲良くしたいし、家族も大切だ」を選ぶのが最適な選択のはずだ。葛藤するとき、対立するときはあるが、まず自分を探究することだ。自分がなにをどう考えて、どのように行動しているのかを客観的な目で探究することだ。仲良くしたいし、家族も大切なら、苦痛をオープンに伝えることなしにはできない。しかし愛情に満ちた親密さを失ったパートナーとの関係では、その反対が起こる。無視される、拒絶される、真剣に聞いてもらえないと考える。しかし、その不安に対する反応と行動が愛情の満ちた親密さを失ってきた理由なのだ。

無視される、拒絶される、真剣に聞いてもらえないかも知れない。しかしその理由も不安に対する反応と行動なのでしかない。つまり両者は同じ思いで同じ反応と行動をしていることになる。相手が変わることを期待するのをやめて、自分が変わることをしないと決着はつかないのだ。

いますぐ主導権争いをやめて防御しないことが解決方法だ。探究によってたどり着いた自分の内側にある本当の不安を告白することが親密さのエネルギーになる。

自分を心配してくれる人に苦痛を聞いてもらい認めてもらうと気持ちは楽になるものだ。そこで思う。パートナーとは苦痛を分かち合えないのに、なぜ不倫相手とは苦痛を打ち明けて分かち合えるのか?やはりパートナーとは相性が悪いのではないかと考えがちだ。

しかし、たいていの場合、不倫相手がパートナーより優っているわけではない。不倫相手も苦痛を聞いてもらい認めてもらいたいからだ。
その点ではパートナーも同じだが、パートナーの場合は、相手の不安を知らずに、互いに不安にさせた責任があると思い込んでいるのだ。もし率直に不安を伝えたら相手は驚愕だろう。

「アグレッシブ(攻撃的)な受け身」でも、「ノン・アサーティブ(非主張)な受け身」ではなく、「アサーティブに能動的」なコミュニケーションに変えよう。
それで夫婦仲が改善できなくても、家族間のコミュニケーションは改善できる。

家族とは、自立を進化させる基地。なれる最高の自分になる基地、必要なサポートを受けることができる自分になる基地だ。健全な家族とは問題がないことではなく、問題があっても乗り越える力を持っていることだ。

・仲良くしたくない、家族はどうなってもいい
・仲良くしたいが、家族はどうでもいい
・仲良くしたくないが、家族は大切だ
・仲良くしたいし、家族も大切だ

自分と家族に愛情があるなら、4つの選択肢から選ぶ道は、ひとつしかないはずだ。

「仲良くしたいし、家族も大切だ」を選ぶのが最適な選択のはずだ。葛藤するとき、対立するときはあるが、まず自分を探究することだ。自分がなにをどう考えて、どのように行動しているのかを客観的な目で探究することだ。仲良くしたいし、家族も大切なら、苦痛をオープンに伝えることなしにはできない。しかし愛情に満ちた親密さを失ったパートナーとの関係では、その反対が起こる。無視される、拒絶される、真剣に聞いてもらえないと考える。しかし、その不安に対する反応と行動が愛情の満ちた親密さを失ってきた理由なのだ。

無視される、拒絶される、真剣に聞いてもらえないかも知れない。しかしその理由も不安に対する反応と行動なのでしかない。つまり両者は同じ思いで同じ反応と行動をしていることになる。相手が変わることを期待するのをやめて、自分が変わることをしないと決着はつかないのだ。

いますぐ主導権争いをやめて防御しないことが解決方法だ。探究によってたどり着いた自分の内側にある本当の不安を告白することが親密さのエネルギーになる。

自分を心配してくれる人に苦痛を聞いてもらい認めてもらうと気持ちは楽になるものだ。そこで思う。パートナーとは苦痛を分かち合えないのに、なぜ不倫相手とは苦痛を打ち明けて分かち合えるのか?やはりパートナーとは相性が悪いのではないかと考えがちだ。

しかし、たいていの場合、不倫相手がパートナーより優っているわけではない。不倫相手も苦痛を聞いてもらい認めてもらいたいからだ。
その点ではパートナーも同じだが、パートナーの場合は、相手の不安を知らずに、互いに不安にさせた責任があると思い込んでいるのだ。もし率直に不安を伝えたら相手は驚愕だろう。

「アグレッシブ(攻撃的)な受け身」でも、「ノン・アサーティブ(非主張)な受け身」ではなく、「アサーティブに能動的」なコミュニケーションに変えよう。
それで夫婦仲が改善できなくても、家族間のコミュニケーションは改善できる。

家族とは、自立を進化させる基地。なれる最高の自分になる基地、必要なサポートを受けることができる自分になる基地だ。健全な家族とは問題がないことではなく、問題があっても乗り越える力を持っていることだ。

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